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Azusa Voice #1『シンガーソングライター 佐藤 梓が生まれたのは』

    • 2018年10月29日(月)
    • しんぶんのうた

わたくし佐藤梓が歌い手になったきっかけと、そのなりたちをみなさんにご紹介します。

私が生まれた翌年、今は亡き祖父が誕生日にエレクトーンを買ってくれました。3才からエレクトーンを習うことになり、ここから私の音楽人生が始まりました。

物心がついた時から、いずれ歌う人になりたいと思っていました。なぜそう思ったのかは分かりませんが、テレビから流れる音楽や旅行の時に車で流れる音楽、連れて行ってもらうイベントで音楽を聞いたりと、生活の中にはいつも音楽が溢れていてどこかのタイミングで憧れを持ったからなのかなと思います。音楽は好きだけど、エレクトーンを習いながらも譜面を見て譜面通り弾くのが嫌いでした。耳で聞いた音を自己流で弾いていました。ある時、母が買ってくれた楽譜は好きでした。日本のポップスが誰でも簡単に弾けるという譜面。Jポップの音楽の譜面でした。心の中で膨らむ歌手という夢。でも誰にも言えず、将来の夢を書かなければいけない時は、保育士と書いていました。

小学生の頃から目立つ事が好きだった私は、苦手ながらもピアノ伴奏にいつも立候補していました。各クラスに伴奏者がいて同じ曲を何人かが弾く時、私はなかなか上手に弾けなくて悔しい思いをしました。そんな時に、音楽の先生から『梓は人より時間はかかるけど最後には必ず弾けるし、誰よりも上手に弾ける子だから大丈夫』と言葉をもらいました。今でも苦しい時には、かならずその言葉を思い出します。

中学生になっても、自分の夢についてはやはり恥ずかしくて言えませんでした。3年生の時に先生からのすすめもあり、合唱曲のソロパートを歌うことに。緊張しましたが、人前で歌う事がだんだん快感に感じるようになりました。

シンガーソングライターとして、音楽人生に引き込まれる転機の数々。

そんな私に転機がきたのは高校1年生。担任の先生からいきなり『歌を習ったら?』と。担任は音楽の教員でしたが、あまりに突然の事でとても驚いた事を覚えています。なぜそんな事を言ってくれたのかは、未だに分かりません。 紹介を受け、私は声楽を習い出しました。それでも歌手になりたいなんて自分からは恥ずかしくてとても周囲には言えず、クラシックではなくポップスがやりたいとはさらに言えない状況が続いた後、またまた転機がありました。 高校卒業後の進路として音楽大学を勧められるも、音大に行きたくないと言い張る私にある先生が、音楽専門学校を勧めてくれました。

このまま自分の心の底にある夢を口に出さないとどうなるのか不安になり、このままやりたい事をやれない人生になるのではないかと思いはじめ、徐々に自分の夢を言葉にするようになりました。こんな事がしたいんだ!こんな風になりたいんだ!そんな自分の想いが強くなるにつれ、その想いに共感してくれたり、協力してくれる人が増えていきました。 声楽を習っていた私にはマイクがあって歌う音楽に戸惑いはあったものの、自分の夢にだんだん近づいていく過程がとても楽しかったです。作詞作曲を始め、コンテストに応募して自分の曲が評価され賞もいただきました。楽しい専門学校での生活も、音楽生活に没頭した事もありあっという間に終わっていきました。

専門学校を卒業する時、基本的に就職することは思いつきませんでした。さあここからどうしたらいいのか?ここからが私にとって本当の試練でした。歌が簡単に仕事になる訳もなく、地道な活動を行う日々。中学の時に先生からいただいた言葉を思い出しながらも、何度も何度も心が折れそうになっていました。そのような時に、私にまたまた転機が訪れました。

シンガーソングライターとして自分を認めてくれる人に出会い、活動の場もだんだんと広く。

私一人での地道な音楽活動が続くなかで私の音楽を認めていただいて、私の音楽をもっと世の中に広めたいと言ってくれる人が現れたのです。その方は音響さん。音響さんは私たちのライブにはなくてはならない大事な存在です。私たちがどれだけ良い歌を歌っても、音響がひどいとその良さは軽減してしまいます。私を認めていただいた方は知る人ぞ知る凄腕音響さんで、数々のアーティストの仕事をしてたくさん音楽を聞いてきた人に私の音楽を褒めていただけるのは、私にとっても大きな自信につながりました。そこから、二人三脚の音楽活動が始まりました。

徐々に活躍の場が増え、イベントや学校で歌ってほしいと公演依頼をいただくようになっていきました。私は活動の拠点として、地元である多治見を選びました。それまでは名古屋を中心に活動をしていましたが、ここ多治見では全く歌っていませんでした。まずは地元の方に応援してもらえないようではだめだなと、まずは多治見の人に私の歌で喜んでもらいたいという想いがありました。毎年開催するホールでのワンマンライブにも徐々にお客さんが増え、多治見で行うお寺ライブも沢山の方に来場いただけるようになっていきました。

これからさらにパワーアップしようという矢先、共に活動を行ってきた音響さんが残念な事に病気で急逝されました。特にその年はたくさんの公演依頼が詰まっていて、私の頭の中は真っ白になってしまいました。しかし、そんな時もまた周りの人々に助けていただきました。

多くの人に支えられ、周囲の方と共に。

その後2年が経ち、いま振り返ると音響さんは私に沢山の宝物と道しるべを残してくれたと思います。私がいま、シンガーソングライターとして活動をする中で何よりも大切な事は人と人の繫がりです。私の音楽人生の中で転機を与えてくれた人。支えてくれた人。全ては人との繫がりでした。色々な事が起こる日々の中に生まれた感情を曲にすることで、聞いてくれる方の心にも響き、少しでも私の音楽で気持ちが前向きになってもらえたらと歌っています。

夢を語るのが恥ずかしかった自分、楽譜通りに弾くのが嫌だった自分、目立つ事が好きだった自分、そんな自分を支えてくれた人。その一つ一つの環境がいまのシンガーソングライター佐藤梓を創りました。これからどんな自分が出来ていくのか、私自信が楽しみにしています。

佐藤 梓クリスマス音楽物語

  • 日時12月2日(日) 開演:15:00 (開場:14:00)
  • 場所 バロー文化ホール 大ホール
  • チケット(全席自由)
    ・400枚限定ペアチケット(一般1人+中学生以下1人)1,500円
    ・一般チケット 1,500円
    ・中学生以下チケット 500円
    ・2歳未満無料 但し座席が必要な場合高校生以下料金
  • プレイガイド
  • ・バロー文化ホール ・笠原中央公民館 ・ヤマカまなびパーク ・佐藤梓ライブ会場
  • チケットネット予約はこちらから
    主催 Smile for project
    後援 多治見市 多治見市教育委員会
    問い合わせ:Smile for project 山下 090-3309-1266 smilefor.project@gmail.com