実現・継続・発展 常に先を見続けて
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- 2020年10月03日(土)
- 偉人伝
多治見まちづくり株式会社(多治見TMO) 代表取締役社長 小口 英二さん
長野県岡谷市に産まれ、金沢市の大学に進学。金沢での生活が始まりました。
飲食店でアルバイトを頑張る日々の中、店を任されることに。こじんまりとしたバーでしたが、なかなかお客様が入らない。さぁどうしたものかと考え、まちに出てチラシ配りをしてみると、町に人があまりいないことに気付きました。そんなときに、その地域の商店街の皆さんがイベントの打ち上げに店に来てくれていました。そこで運命的な出会いが…。
まちづくりに携わる方がいて、その人(Aさん)が「まちづくりに興味があるならうちに来ないか」と誘われ、金沢のまちづくりの仕事に就くことになりました。後にも先にもAさんを尊敬し続けることになるのです。
Aさんについて商業活性化センター、老舗、百貨店など、まちを活性化するべく試行錯誤し、たくさんの仕事をこなす姿に憧れ、自分もそうなりたいとがむしゃらに頑張りました。約5年金沢のまちづくりに携わり担当を持たせてもらえるまでになったものの、事業が思うようにいかず思い悩み挫折し退職。
その後しばらくは市町村の行政の計画を作るコンサルタントの仕事に就きました。そこでは計画を作り提案をするだけの仕事で、実際に現場でどのように行われているのか分らずモヤモヤとしながら仕事をこなしていました。
そんな折、Aさんが多治見市でのまちづくりの講演会に呼ばれ、多治見でもまちづくりに力を入れていることを知りました。興味を持ち、多治見のまちを見に行き、家族にも「やりたいことをやってほしい、楽しく仕事をしてほしい」と背中を押され、30歳で単身多治見市に。多治見まちづくり株式会社の入社試験を受け、採用され今はどっぷり多治見に浸かっています。
当時は知った人は誰もおらず、今のように仕事もなくどうしたものかと思い悩む日々だったそう。相談をする人も少なく精神的に不安定な時期もあったといいます。
そんな中、様々な人たちと知り合い、いろいろな話をしていくうちに、「カフェ、やりたいよね」といったことを現実化していくことに。いろいろな人のつながりからたくさんの人に出会い、情報をつかみカフェの立ち上げに奔走しました。
予算を調達するために、県庁へ行きプレゼンをするなど忙しく飛び回りました。スタート時はインターネットの環境もなく、企画書などの資料を作るのに、ネットカフェを利用、総会に使う資料のコピーは深夜のコンビニでしていたなぁと懐かしく振り返ります。
仲間(社員)が増え、アイデアが膨らみ、夜遅くまでみんなでいろいろなことに取り組み、熱のある仲間たちに巡り合えたことに感謝しています、と。
社長という立場になり、社員の給料などお金の調達、運用など責任を感じているといいます。コロナ禍で大変な状況が続いているが何とか乗り越えなければと、強い思いを感じます。
「ヒラクビルなど、今までやってきたことをしっかりと続けていくこと、さらに発展させていくこと。会社全体のレベルアップを図りつつ、社員が幸せを感じてくれるような会社にしていきたい」と力強く話します。
ストレス解消は、子どもたちと野球をすることだといいます。自身が野球少年だったこともあり、ノックをしたり、走塁の見本を見せたり、子どもたちと一緒に汗を流すのがとても楽しいといいます。
いい人との出会いがいいきっかけをうみ、いい仕事へとつながっていく。それに甘えることなく常に努力、探究し続ける小口さんの人柄が、多治見市の発展に新しい風を吹き込んでくれると感じます。
2018年に大手WEBでは載らない岐阜県多治見市近辺に特化した情報を集め公開スタート。
中日新聞の月刊ミニコミ紙『マイタウンとうと』の記事も一部配信。
マイティーラインに公開している情報のダイジェストを毎週(水)(金)正午にLINEトーク配信しています。