「平成で印象に残っている試合」。奈良原内野守備走塁コーチの場合
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- 2019年04月09日(火)
- ドラ番記者プラール
前回の本欄で始めた「平成で印象に残っている試合」。奈良原内野守備走塁コーチが挙げたのはあの名シーンだった。「松坂の1戦目かな」。1999年4月7日の東京ドーム。「怪物」がベールを脱いだ。
奈良原コーチは当時、日本ハム移籍2年目。ベンチでは「言っても高校生。いける、いける」と声が飛んでいた。それが1回、片岡が空振りとともに膝から崩れ落ちた1球に度肝を抜かれた。
「あれは速かった。糸を引くような155キロ。ベンチで見ていてもセンセーショナル。こんな投手はプロにもあまりいないと思った」。この試合、先輩に「飛ばしすぎるなよ」と声を掛けられた松坂は「全力じゃないですよ」と答えたという。デビュー戦でギアを上げ下げした18歳。まさに怪物だった。
(高橋雅人)
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