しんぶんのうたHistory-2 ラッキィ池田さんが振付!
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- 2018年09月30日(日)
- しんぶんのうた
ラッキィ池田さんにお願いすることに!
「やっぱりラッキィ池田さんでしょ!」販売店の仲間と打ち合わせをしていた時の一言。曲も完成したので、振り付けを誰にお願いするかというのが次の課題でした。中途半端にしてしまうと、せっかく良い曲を作ってくれた梓さんに申し訳ないという気持ちと、ラッキィさんに引き受けてもらえれば梓さんにとっても意義深いのではと考えました。新聞という媒体が持つ固いイメージとラッキィさんのキャラのミスマッチ感が面白いとも思いました。
ラッキィさんとの橋渡しをお願いしたのは、美濃焼ブランディングプロジェクトでご一緒させてもらっていたグラフィックデザイナーの佐藤卓さん。そのことをお願いをすると、二つ返事でご了解いただきすぐに紹介していただきました。早速メールと電話でご挨拶させていただき、アポイントを申し入れると、2015年10月30日に東京の早稲田にあるラッキィさんのイカキックスタジオで会っていただけることに。当日は佐藤梓さんと販売店仲間の溝口君、私の3人でスタジオを訪問。ラッキィさんに曲を聴いていただいてから、これまでの経緯や曲への想いをていねいにお伝えしたところ、ラッキィさんご自身も新聞に対してよき思い出、よきイメージをお持ちであり、快く引き受けていただけました。充実した安堵感に満ち、帰路に就きました。
振り付けで曲がさらにパワーアップ!
どんな感じになるのかワクワクしながら待っていると、約1ヶ月後にイカキックより振り付け映像が2種類送られてきました。私たちからは「園児から小学生までを対象にした、楽しく踊ってもらえる振り付けを」とラッキィさんにお願いしていたのですが、ラッキィさんサイドからは「企画としてそれだけでは弱いのでは」とのことから、それ以上の中学・高校生から大人まで楽しめる、ラインダンスバージョンを提案いただきました。運動会で組み体操が危ないという理由でなくなっていくなか、ラインダンスは、その代わりとしても活用できるよう少し難度が高いのが特徴です。 新聞が小道具として登場するところもナイスでした。もともとのイメージのキッズバージョンと、新しく考案いただいたラインダンスバージョン。これで子どもから大人までが楽しく踊ってもらえるという幅が広がり、結果的にとてもありがたかったですね。
恐れ多くもキッズバージョンの方は一部分だけ修正をお願いしましたが、改めて完成した映像を観た時は感慨深いものがあり、ラッキィさんには心から感謝でした。こうしていろんな方のお世話になりながら「しんぶんのうた」が完成し、歌の普及のプロジェクトがスタートしました。(History-3へ続く)
多治見市生まれ。子どもの頃は、カブトムシやクワガタを捕まえたり魚釣りが大好きで、放課後や夏休みになると永保寺周辺の林を駆け回ったり、土岐川のねずみ岩でザリガニを餌に野ゴイを狙うといった少年時代を過ごす。中学・高校時代はバスケットに夢中になり、大学進学と同時に楕円球に魅せられてラガーマンに。菅平での試合中に顎の骨を折り、帰省して県病院に入院したこと、最終年度の公式リーグ戦で優勝できたこと、そして海外遠征では王国ニュージーランドで地元の英雄、伝説のNo.8ウェイン・シェルフォード直々のコーチングを受けられたのは懐かしい思い出。大学卒業後は総合商社に11年半勤務の後2002年に多治見へ帰郷、現在に至る。