3.11のナゴヤ球場 あの日の記憶をどのように継承していくか
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- 2019年03月14日(木)
- ドラ番記者プラール
3月11日の午後2時46分は今年もナゴヤ球場で迎えた。北東の空に黙とうをささげる。8年前。あのときも練習後に選手が出てくるのを待っていた。球場の鉄柱が大きく揺れ、風呂に入っていたブランコが腰に巻いたタオル一枚で飛び出してきた。
無観客での練習試合、約2週間の開幕延期、減灯ナイター、3時間半ルール…。2011年を知る選手も少なくなった。楽天では当時から在籍するのは7人。中日では、その後の移籍加入組も含めて17人が当時を経験している。
「俺もあの日はトレーニング室から飛び出したもんね」と振り返った山井もその一人。13年オフから毎年、宮城県気仙沼市を慰問するベテランは「いずれは若い子に活動を引き継いでもらえれば」。今後は知らない世代への継承も課題となる。
(高橋雅人)
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