村上打撃コーチの不思議な縁
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- 2019年06月20日(木)
- ドラ番記者プラール
縁とは不思議だ。プロとして最後に立った球場に指導者になって戻ってくるのだから。「最初に足を踏み入れたときは素直に懐かしかったよね」。声の主は村上打撃コーチ。昨オフの秋季キャンプでナゴヤ球場に訪れたときの感想だ。
近鉄時代には主催試合で使用した球場。さらに2001年オフに西武を自由契約となり、現役続行を懸けて臨んだトライアウトの場所がナゴヤ球場だった。当時は36歳。「まだ自分はできると思ってプレーしたよ」。自慢の打撃や強肩でアピールしたものの、声が掛からずユニホームを脱いだ。
話を聞く際、いつも「選手には後悔なくやり切ってほしいね」と話す村上コーチ。悔しい記憶が残る球場の土を踏んだことがその思いを強くさせているのかもしれない。
(長森謙介)
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