長福寺(弁天町)から市内最古700年前の古文書が見つかりました
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- 2020年07月18日(土)
- イベント
市内最古700年前の古文書を発見
5年ほど前、長福寺(弁天町)の蔵から仏像や古文書が約3,300点(2020年6月現在)発見されました。
市図書館郷土資料室、市文化財保護センターと共に調査を開始した愛知学院大学の福島金治教授らは、2020年2月に縦約30cm、長さ約6mの奉加帳を発見し「美濃国池田御厨某寺奉加帳(みののくに いけだのみくりや ぼうじほうがちょう)」と名付けました。
奉加帳には、寄付を取りまとめた人の実名が約250人、長瀬(現土岐川北の地域)、池田、笠原、滝呂など東濃地域、名古屋から春日井の地域と広範囲からの地域、金額(総額21貫文)、人数(約1万人超)が記されており、「1人当たりの寄付額は少額ですが、幅広く集められていることから、おそらく仏像を作るためでは」と福島教授は推測します。
奉加帳には、土岐一族とみられる源頼衡(よりひら)の名前があることから当時の長瀬地域に土岐源氏の勢力が及んでいたことを示すことや、美濃における中世の武士集団や寺院などの歴史の解明につながる貴重な資料だと指摘しました。
また寄付を受け付けた日付が「正安三正月三日」(1301年ごろ)という記述があり、市内で確認される最古の古文書の原本であるとの推定も。
長福寺は鎌倉時代末期の元弘年間(1331年から34年)に、可児郡長瀬郷の領主であった長瀬入道土岐頼氏が開創と伝えられており、「創建年代がさかのぼるのでは。今後の調査が待たれます」と、住職の良盛快正さんは話しました。
同寺では、同じく蔵から高さ10cmほどの2体が背中合わせで合体している双身毘沙門天立像(そうしん びしゃもんてんりゅうぞう)も見つかり、2020年2月に奈良国立博物館で開催された特別展にも出陳され、鎌倉、平安時代の作ではと注目を集め現在も調査が続きます。
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