「当たり前」にありがとう
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- 2020年10月30日(金)
- いいね新聞生活
10月15日から21日までの1週間は、日本新聞協会が設けている「新聞週間」でした。さらに、週間中の日曜日は「新聞配達の日・新聞少年の日」としており、今年は10月18日がその日でした。
新聞週間に合わせて毎年、「新聞配達に関するエッセーコンテスト」が催され、「大学生・社会人」「中学生・高校生」「小学生」の3部門に、今回は6,065編の応募があったそうです。入賞作品30編が業界紙に紹介されており、目を通しました。
新聞配達の思い出、販売店や配達員と読者とのふれあい、震災や豪雨災害で身に染みた新聞のありがたさ…。その1編1編が心に響いてきました。
山の中の集落で長年新聞配達をしてきた祖父が、生前につけていた一冊の手帳。そこには、お客さんの通院予定や畑の農作物の種類まで書かれており、「祖父が地域の人たちをどれだけ愛していたのかを知った」と、静岡市の女性(31)はつづりました。
愛知県刈谷市の男子高校生(17)は、田植えの季節になると、雨天でもないのにビニールでパックした新聞が毎朝、玄関先に届き、ある朝、ビニールにツバメの糞が付いているのを見てその理由を知ります。来春卒業というこの高校生は「新聞配達のおばさんのような心遣いができる大人になりたい」と記しました。
コロナ禍は災難ですが、新たな発見や気づきももたらしてくれます。宮崎市の曽原愛未さん(17)という女子高校生のエッセー「〝当たり前〟にありがとう」。すてきな文章だったので、少し長くなりますが紹介します。
-自粛生活のおかげで私は、早起きして部屋の窓から朝日を拝むようになりました。街明かりが消えて、鳥のさえずりが少しずつにぎやかになって、その日1日の期待が詰まったようなこの時間が大好きになりました。そのほんの少し前、まだしんとしている時間に、決まって1台のバイクの音がするのです。ブゥンといって止まり、また少し行って止まる。路地を横切るバイクを一目見て、それが新聞配達だと分かりました。
「そうか、これも人の手によって運ばれているのか。こんなところにも人とのつながりがあるのか」と思いました。親が読んでそのまま放置されていた新聞を、少しだけ開くようになりました。当たり前のように今日も新聞が届きました。毎朝欠かすことなく、ブゥンという音と共に〝ありがとう〟の反対は〝当たり前〟という言葉を思い出しました。(以下略)-
販売店、配達員さんのおかげで、毎朝、ちゃんと新聞が郵便受けに届けられている。その「当たり前」に、私もあらためて感謝しています。(有)
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