新聞がある風景
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- 2019年01月01日(火)
- いいね新聞生活
テレビドラマやアニメ、映画に描かれる食卓の場面で、新聞を目にする機会が随分減ったような気がします。おそらく、新聞を取らない家が増えている昨今の事情を反映しているのでしょう。家庭の日常風景として新聞がないから、小道具として登場させにくいと。 かつて日本の朝の食卓の風景といえば、ご飯やお茶と並んで、新聞がありました。朝食の支度ができるまでの間、お父さんが湯飲みを手にしながら、あるいは朝食後に朝刊を広げ、前日に起きたニュースに目を通す。「ほー、そうか」「こりゃ、大変だな」と、目に留まった見出しや記事について一言二言つぶやく。お母さんは、「大変ですねえ」とかなんとか相づちを打ちながら、バタバタと子供を学校に送りだす。食器の片付け、掃除、洗濯…朝の家事から解放されると、テーブルの片隅に置かれた朝刊を広げながら、ほっと一息-。
こんな風景がかつての一般的な家庭の日常だったのではないでしょうか。育ちの中の原風景を記憶にとどめる子供たちは、大人になって所帯を持つと、当たり前のように新聞を取り、家庭に新聞がある暮らしを続けてきたのではないかと思います。
作家向田邦子さんの作品「霊長類ヒト科動物図鑑」に『新聞紙』というエッセーがあります。新聞で世の中の動きを知るだけでなく、読み終えた新聞紙を習字の練習に使ったり、焼き芋や油揚げを包んだり、濡れた靴に丸めて入れて湿り気を取ったり、焚きつけにしたり…、子供時分、向田家の暮らしのあちこちで重宝した新聞について、懐かしさを込めてつづっています。
エッセーは、こんな一文で締めくくられます。
「そういえば、我が家でも、父は宿酔(ふつかよ)いで気分が悪い朝など、新聞で顔をかくすようにして坐っていた。日頃、説教を垂れている手前、赤イワシのような目玉を、子供たちに見られたくなかったのであろう。新聞は、父親の権威を守る働きもあったのである。」
今や「父親の権威」なぞ、無きに等しい時代ですが、父親の権威失墜と、家庭における新聞の存在感の低下とが軌を一にしているように感じられ、妙に納得してしまいました。(有)
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