マイティラインとは

貸出数が10万冊を超える賑わいを見せた—多治見市図書館

    • 2019年02月26日(火)
    • 写真館
1962(昭和37)年に県下で初めての試みとして、多治見市図書館は、市連合婦人会と共催で婦人学級文庫を開設しました。読書意欲を持ちながら図書館まで行かれない人を対象として本を届けるのが狙いで、当初はスクールバスを巡回用の自動車に充てていました。翌38年から専用自動車によって市内に数カ所のステーションを置き巡回しました。また昭和47年から55年までの夏休み期間中には、廿原・三之倉・諏訪町の児童を対象として、子どもの本を貸し出す「緑陰図書館」が開かれ、遠隔地の子どもへのサービスもされていました。 1972年頃、市民の間でより充実した図書館を求める声が高まり、1974(昭和49)年に豊岡町から前畑町に移転した多治見市民病院の建物を改築して、1977(昭和52)年に多治見市図書館と社会教育センターが入りました。特許閲覧室が新設されたほか、「子どもと読書」講演会を開催するなど多彩な事業を行っていました。 国鉄多治見駅に近い立地の良さから利用者が大幅に増加し、1978年度には貸出数が10万冊を超えました。しかし、かつて病院だった建物ということで、図書館らしくない雰囲気が漂っていました。さらには、4階建にもかかわらずエレベーターは設置されていませんでした。1988(昭和63)年には、1977年まで使用していた常磐町の図書館跡地に多治見市図書館分館が開館しました。 バブル時代の1991(平成3)年に策定された第4次多治見市総合開発計画には大規模な生涯学習センターの建設が盛り込まれ、1993(平成5)年には現在地への図書館と社会教育センターの複合施設の建設が決定されました。1994(平成6)年10月には図書館が昭和町の仮設館に移転し、同年12月に開館した仮設館は1996(平成8)年12月まで使用されています。 1995(平成7)年1月には旧館跡地に複合施設の建設が開始され、1997(平成9)年1月には複合施設「まなびパークたじみ」が竣工。移転作業を経て、4月1日に新館が開館しました。東濃地方の図書館で電算化されていなかったのは多治見市図書館と中津川市立図書館のみだったが、新館開館を機に電算化も行っています。 現在は、「ヤマカまなびパーク」の名称で市民に広く活用されています。