マイティラインとは

Part3 日本陶業界の発展に寄与 加藤 助三郎

    • 2018年08月29日(水)
    • 偉人伝

批判に屈しない姿勢から「陶器将軍」と呼ばれる

加藤助三郎(かとう・すけさぶろう)は1857(安政4)年に市之倉で誕生。1864年より江戸で修学し帰郷後再び上京し、1872年に15歳で東京深川区に「美濃屋」なる陶器商を始めました。その後、同業者と「濃栄組」を設立し、翌年「濃栄社」に名を改め社長に就任。就任後、1889年に京橋区に「満留寿商会」として、全国陶磁器卸売問屋を開設。美濃焼をはじめ、全国窯元の商品を手広く販売しました。主力商品は市之倉特産の盃(さかずき)「㋜の盃」で記念盃を販売しました。また、いち早く輸出に目を向け、海外の販路拡充にも尽力しました。 情報の開示が重要との思いから1890年より「陶器毎年一月相場」を掲載した『陶器商便覧』、月刊『陶磁器相場報告』や、雑報、陶磁器関連記事などを掲載した『陶器商報』を次々刊行。陶業界に情報革命を起こしました。その活躍ぶりや批判に屈しない姿勢から「陶器将軍」と呼ばれるように。 1891年には鉄道運送株式会社を設立し、船積み輸送から日本初の陶器の鉄道輸送定期便を実現。また、商いの他、視察や品評会審査など全国に出向き、業界全体に活力を与えました。 1895年、満留寿商会本店を多治見に移転。岐阜県陶磁業組合長に就任。窯業を支える人材育成のため、岐阜県陶磁器講習会(現多治見工業高校の前身)を開所。現在も同校には、寄贈した資料などが数多く残されています。 1908年長年の功績により緑綬褒章を受章。しかし翌月、52歳の若さで病死。その死を悼み、平野公園に表功碑が建てられ、現在も4月の陶祖祭で神事が行われています。