「災害の時計」
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- 2021年03月16日(火)
- いいね新聞生活
2万人を超す死者、行方不明者を出した東日本大震災。3月11日は、発生から10年に当たる日でした。“節目”の年ということで、新聞各紙やテレビはじめ各メディアは、例年以上に報道や関連の特集に力を入れたように感じられました。
中日新聞も記者やカメラマンが数週間前から現地に取材に入り、連日、被災者や被災地の今を伝えてきました。
津波で亡くなった長男にあてた手紙を「漂流ポスト」に出す岩手県南三陸町の母親(3月9日朝刊)、故郷の三重・尾鷲での昭和東南海地震、昭和南海地震を含め4度の大津波を経験し、教訓を伝える碑を建立した岩手県大船渡市の88歳の男性(同夕刊)。亡き親友のために、仙台の浜辺で鎮魂の花火の打ち上げを企画する20代の男性会社員(3月10日朝刊)…。
3月11日当日の朝刊1面写真は、岩手県陸前高田市のあの「奇跡の一本松」を背に、笑顔で駆ける15歳の少年の姿でした。その左上には小さめに、やはり奇跡の一本松を背に小走りする男の子の写真。
記事によると、この少年は、地元の名勝「高田松原」の保存活動に励んだ祖父を津波で失くしており、1年後の2012年3月11日付の中日新聞1面で紹介されました。震災時5歳だった男の子は背が70㎝ほど伸び、この春、高校生になるそうです。2枚の写真を見比べ、震災発生からの歳月を感じずにはいられませんでした。
ただ、時間は過ぎても、身内や友人知人を失くし、住まいを失った人にとって、10年が“節目”とはとても思えないでしょう。3.11はつい昨日のことのようで、時が止まったままの人も多いはずです。
先日、NHK・Eテレの「100分de名著」という番組で、寺田寅彦の『天災と日本人』という著書を取り上げていました。寺田寅彦といえば、「天災は忘れた頃にやってくる」という一節が有名です。
番組の講師を務めた批評家で東京工業大教授の若松英輔さんは、この警句を踏まえ、「人が繰り返し災害を忘却してしまうのは、『自然の時間軸』に対する認識が欠けていることに起因する」とし、「私たちは、生活の時計とは別な『災害の時計』を心に刻まねば」と指摘しています。
被災地から離れた場所に住み、日々、被災者と関わりなく生活していると、震災の記憶と関心は年々、加速度的に薄れていきます。だからこそ若松さんは、「10年前を昨日のことのように捉える」災害の時計の必要性を訴えるのです。 新聞などで節目の数々の記事に触れることは、被災地の現状を知り、あらためて被災者に思いを寄せる機会となります。それは自身に災害の時計を持ち、この地域にも必ずやって来る「南海トラフ巨大地震」に備えることにもつながるのです。(有)
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