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中日新聞を読んで 『紙面の桜』 堀田あけみ

    • 2022年04月24日(日)
    • いいね新聞生活

日々、戦場からむごたらしい知らせが届く。個人的にも、敬愛していた人を亡くした。家族の死の記憶はまだ新しく、コロナ禍も収まらない。自発的に桜を見に行く気にはなれないのだが、咲く花がふと目に入ると、少し慰められる心地になる四月である。まあ、わざわざ見に行かなくても、研究室のブラインドを上げれば、窓いっぱいに桜が咲く職場だ。

四月二日、新聞を手に取ると一面の上部で桜の花が満開だった。下には別のニュースがある。いつの頃からか、新聞の紙面はカラーになった。必要がなければ、相変わらずの無愛想な白黒だが、記事も広告も色がついているのが普通になった。それも結構、クオリティーが高い。かつては、新聞の写真といえば、粗い粒子でできた見づらいものだったのに。

だから、こんなふうに桜を見せることもできるのだな。そう思いつつ読み進むと、再度桜に出合った。名古屋の市民版。次のページもだ。愛知の県内版。見開きの上部に桜が続く。見出しを見ると、それぞれ異なる名所の桜だとわかる。行ったことのあるところも、ないところもある。

私の他にも、わざわざ行かない人は多いだろう。行く気にならないこともあれば、行きたいけれど自粛する人もいる。私の職場も以前は桜の季節は夕方から一般開放され、学生たちの作ったランタンに明かりが入ったものだが、中止になって三度目の春。そんなときに紙面にあちこちの桜をちりばめられると、どこかに行った気持ちになる。新聞にはこういう伝え方もあったのだと気付かされる。センスが良いと表現するより「粋だね」とつぶやきたくなった。

今年の桜はきれいに散ったと思う。そろそろ見頃が終わろうかという時期に雨で見納め、というパターンが多いように感じるが、今年は咲いてから散るまで、雨がほとんど降らなかった。風で、どっと散ることもなく、はらはらと最後まで散り果てた。人の営みがどうあろうが、桜は咲いて散るものだ。当たり前のことを改めて、しみじみと思う春である。(椙山女学園大教授)