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【多治見市史にみる人々】多遅比瑞歯別命

    • 2019年05月20日(月)
    • イベント

いたどりの花と多治見の地名

初夏、さわやかな風が通り抜けます。生まれたばかりの赤ちゃんに産湯が使われていました。赤ちゃんは気持ちよさそうにほほえみ、ほころんだ口元からは白い歯がのぞいています。この子には生まれながらにしてきれいな歯が生えそろっていました。

風に乗って白いちいさないたどりの花がひらひらと舞ってきました。虎杖いたどりのことを「多遅比たじひ」と呼んでいたので、居合わせた人々は「これはなんとよろこばしいこと。そうだこの子に「多遅比」と名付けよう、それに歯がきれいに生えそろっていたから『瑞歯みずは』も加えて」。

こういうわけで、この子には「多遅比瑞歯別命たじひみずはわけのみこと」と名付けられ、この子の世話や養育費のまかないをする人が決められ、その役の人々には、「多遅比部たじひべ」の姓が与えられました。

この子は仁徳天皇の皇子で、古事記・日本書紀によると第十八代天皇反正天皇の幼名ですが、皇子の養育担当である多遅比部が各地に住み着いて、そのひとつがこの多治見地方だったというのです。やがて、多遅比の姓が地名にかわって「多治見」になったという説が、江戸時代から言われています。

多治見の地名がもとをたどると、初夏、かわいらしい花をつける、いたどりにはじまるというちょっとロマンのある話です。

もっとも、多治見の地名の起源には定説がありません。いくつかの話があって、この多遅比(いたどり)説の他に「多遅比はマムシの古名でもあるので、マムシに関係する所」説や、「少し高いところから立ってみるところ、立ち見が語源」説もあります。

いずれにしても、はるか遠い遠い古代、この多治見地方にもやっと人々の中で有力者が生まれ、その人を葬るための古墳がまわりの丘陵地にみられるようになった時代の話です。