福留孝介選手引退特設ページ
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- 2022年09月26日(月)
- ドラ番記者プラール
福留孝介選手はドラフト1位(逆指名)で中日ドラゴンズへ入団。
1999年4月2日、広島との開幕戦に2番ショートでスタメン出場、ルーキーイヤーで132試合に出場し、打率.284、131安打16本塁打52打点の成績を残し、1年目ながらリーグ優勝にも大きく貢献しました。
2002年から外野手へ転向、3番打者としても定着し186安打を放ち、シーズン最多安打の球団記録を更新、打率.343で初の首位打者のタイトルを獲得、また外野手のベストナイン、ゴールデン・グラブ賞にも選出されました。
03年6月8日の広島戦(ナゴヤドーム)でサイクル安打を達成、9月9日の広島戦(尾道)から9月13日の阪神戦(ナゴヤドーム)まで5試合連続本塁打、9月9日広島戦(尾道)から9月19日の横浜戦(横浜)まで10試合連続打点を記録するなど、このシーズンは96打点、34本塁打を記録し自己最多を更新。打率も2年連続で3割に到達。
2008年にメジャー(カブス)へ移籍しますが、ドラゴンズに在籍した07年までに首位打者2回(02、06)、最高出塁率3回(03、05~06)のタイトルを獲得、セ・リーグ最優秀選手1回(06)、ベストナイン3回(02~03、06)、ゴールデン・グラブ賞4回(02~03、05~06)選出されクリーンアップの一角、ドラゴンズを代表する選手として活躍。
メジャーからNPBに復帰し13年から阪神タイガースでプレー、15年に4回目のベストナイン、5回目のゴールデン・グラブ賞を獲得すると、16年6月25日の広島戦(マツダ)で日米通算2000安打を達成。
21年からドラゴンズへ復帰しスタメン、代打の切り札としても活躍、4月3日の阪神戦(京セラ)で復帰後初安打、7月10日のDeNA戦で復帰後本拠地初本塁打を放ちます。
10月10日のDeNA戦(横浜スタジアム)では史上最年長でNPB通算2000試合出場も達成。
22年は3月25日、巨人との開幕戦(東京ドーム)に3番レフトでスタメン出場、これが開幕戦の史上最年長スタメンとなりました。
プロ初安打が99年4月4日の広島戦で放った右越え二塁打、プロ最後の安打も22年5月26日の西武戦で放った右翼線への二塁打でともにタイムリーとなり、通算二塁打は409本、中日では立浪監督の487本に次ぐ成績です。
通算打率は.286、1952安打、285本塁打、1078打点、24年(NPB19年)の現役生活に終止符を打ちました。
※成績はNPB通算のみ
9月23日にバンテリンドーム ナゴヤで行われた中日ー巨人23回戦が福留孝介選手のラストゲームとなりました。
試合前の練習中に投手陣らと記念写真を撮影、シートノック中にも鵜飼選手、岡林選手ら若い選手と笑顔で話し、落ち着いた雰囲気で試合開始を迎えます。
3-9で迎えた9回表、9番ライトと福留選手の名前がコールされ、守備位置へ向かうとドーム内は大歓声に包まれます。
そして9回裏1死、最後の打席に立つ福留選手、ジャイアンツの鍬原投手と対戦し1ボールからの2球目を放った打球は二飛に。
最後の打席を終え、ファンの声援に応えながらベンチへ戻ると立浪監督と抱き合います、また試合後には原監督からも花束を贈られ、抱擁を交わすとスタンドからは大きな拍手が沸き起こりました。
CEREMONY セレモニー
引退セレモニーあいさつ
まず初めに、今日このような引退セレモニーを開いていただきました中日ドラゴンズ球団、立浪監督をはじめコーチ、選手、裏方の皆さん、そして最後まで球場に残っていただきましたファンの皆さま、本当にありがとうございます。
小学生の時に串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、中日ドラゴンズのチームに魅かれ、そしてその中にいた立浪監督に憧れ、プロ野球選手を目指してきました。
1998年、星野監督の計らいでファン感謝デーに呼んでいただき、バックスクリーンの扉から一人で出てきた時、その恥ずかしさ、今でも鮮明に覚えています。
その日から僕のプロ野球人生がスタートしました。
24年間、素晴らしいチームメイト、素晴らしい指導者の下プレーさせていただき、その中に佐々木恭介コーチと出会い、打撃を一から作り直そう、そう言って毎日バットを振り続け、朝起きる時には自分の手がバット形をして固まったまま・・・。
そんな日々を繰り返しながら、松井秀喜さんに勝って初めて首位打者を獲得した時、この世界でやっていける自信をもてたのを思い出します。
その後リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。
しかし日本一になった時、自分自身故障でその場にいられなかった、その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。
その後、海外、阪神タイガースでプレーをさせていただきました。
阪神タイガースでは8年間、日本一のグラウンドで熱狂的なファンの皆さまの声援のなかでプレーさせていただき、そして最後の甲子園球場の時には、ライトスタンドから大きな福留コールをいただき、僕の一生の宝物です。本当にありがとうございました。
2年前、このドラゴンズに帰ってもう一度このユニホームを着てプレーできたこと、そして自分の野球人生がスタートしたこの場所で、ファンの皆さまの声援に包まれてユニホームを脱げる、僕は本当に幸せ者です。
最後に24年間戦い続けることのできるこの体を生んで育ててくれた両親、本当にありがとう。
そして一番近くで、応援し支えてくれた家族のみんな、本当にありがとう。
僕は今日でユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。
ドラゴンズファンの皆さん、これからもドラゴンズのご声援よろしくお願いします。
24年間、温かいご声援本当に本当にありがとうございました。
INTERVIEW インタビュー
福留孝介選手が9月8日、今季限りで現役を引退することを発表、バンテリンドーム ナゴヤで会見が行われました。
PROFILE プロフィール
福留 孝介
KOSUKE FUKUDOME
生年月日 1977年4月26日
身長・体重 182㎝ 90㎏
投打 右投左打
出身地 鹿児島
出身校 大崎小-大崎中-PL学園高
現役 日本生命-中日(1999~2007)
-カブス(2008~2011)
-インディアンス(2011)
-ホワイトソックス(2012)
-ヤンキース(2012)
-阪神(2013~2020)-中日(2021~)
タイトル 首位打者 2回(2002、2006)
最高出塁率 3回(2003、2005~2006)
表彰 最優秀選手 1回(2006)
ベストナイン
4回([外]2002~2003、2006、2015)
ゴールデングラブ賞
5回([外]2002~2003、2005~2006、2015)
HISTORY 軌跡
1998
11.28 入団発表
入団発表の席で星野監督と握手をする
11.29 ファン感謝デー登場
中日の真新しいユニホームを着て登場
1999
4.4 初安打
広島戦でプロ初安打を放つ
4.16 初本塁打
巨人戦で右中間にプロ初本塁打を放つ
11.2 優勝パレード
同期入団の岩瀬投手と一緒に沿道の観客に手を振りながらパレードする
2002
11.8 首位打者
プロ野球コンベンションで首位打者のトロフィーを受け取る
12.10 ゴールデン・グラブ賞
ゴールデン・グラブ賞を初受賞し、トロフィーを手にほほえむ
2003
6.8 サイクル安打
7回裏2死、中前安打を放ち、サイクル安打を達成
2004
8.22 アテネ五輪
岩瀬投手とともに日本代表として出場し、銅メダルを獲得
10.1 リーグ優勝
リーグ優勝を果たし、ファンの声援に手を上げ応える
2006
3.21 第1回WBC優勝
第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で優勝し、谷繁選手と一緒にトロフィーを手にする
10.11 リーグ優勝
リーグ優勝祝勝会でビールをかけられる
11.14 MVP獲得
最優秀選手賞を受賞
11.30 ゴールデン・グラブ賞
ゴールデン・グラブ賞を受賞し、トロフィーを受け取る
2008
3.31 MLBデビュー
「カブス-ブルワーズ」戦の開幕戦の9回裏、右中間へ同点となる3点本塁打を放つ
2013
阪神時代
阪神タイガースに移籍後も中心選手として活躍
2020
12.18 復帰入団会見
14年ぶりにドラゴンズへ復帰
2021
7.10 復帰後本拠地初本塁打
ライトスタンドへドラゴンズ復帰後本拠地初ホームランを放つ
10.10 NPB通算2000試合出場
9回表に代打で出場し通算2000試合出場を達成
2022
3.25 最年長開幕スタメン
5.26 409本目の二塁打
GOODS グッズ
福留孝介選手 引退記念グッズ
※9月23日(金)~25日(日)の公式戦開催日において、実店舗での販売は行いません。予めご了承ください
引用元:中日ドラゴンズ公式WEBサイト
本記事は中日ドラゴンズの許諾を得て公式サイトを引用、転載しております。
2018年に大手WEBでは載らない岐阜県多治見市近辺に特化した情報を集め公開スタート。
中日新聞の月刊ミニコミ紙『マイタウンとうと』の記事も一部配信。
マイティーラインに公開している情報のダイジェストを毎週(水)(金)正午にLINEトーク配信しています。