マイティラインとは

多治見ぶらり散歩Part4 西国観音

    • 2018年08月16日(木)
    • ぶらり散歩

庶民の強さを感じて…心癒やされ

別名を「西国巡礼」とも言われる「西国三十三所観音めぐり」は、奈良時代に大和の長谷寺にいた徳堂上人が病気で仮死状態になった時、閻魔大王に「悩める人を救うため、三十三か所の観音霊場を作って、人々に知らせよ」と命じられ、生き返った上人が、近畿に霊場を定めたのがその始まりとされています。 とりわけ、江戸時代には盛んに行われ、西国から離れた当地にもそれを物語るように多くの寺の境内に西国観音が並んでいます。 その三十三の観音霊場うちの一つである、精華町にある順徳寺の南側に、石垣を背に西国観音が一列に並んでいます。いつの時代に並べられたかはわかりませんが、この寺の一帯を瑠璃寺と呼ばれるようになりました。 鎌倉時代、当地にあったと伝えられる「金剛山瑠璃寺薬師院」は、戦国時代の兵火で中絶。その後、江戸時代に真言宗の是休庵が創建されましたが、明治維新に無住であったため廃寺となりました。この跡地に昭和22年に妙心寺派の尼寺、順徳寺が創建され現在に至っています。  西国観音建立の年号の最も古いものは、安永9(1780)年で、千手観音馬頭観音の2体が見られます。そのほか、文化・文政・嘉永などの年号のあることから、是休庵のあった時代に建立されたことがわかります。安永9年と言えば、今から220年も前のことで、長い年月雨風にさらされながら、人々の生きざまを見守り、悩みや苦しみを受け止めてくれた西国観音です。 33体の観音の中で一番多いのは、千手観音。次いで、十一面観音、如意輪観音など、その姿から伺うことができます。観音菩薩は、33の姿に変化して衆生を救ってくれる仏、また現世利益を授けてくれる仏として、広く庶民に信仰されたといえます。 千手観音はその名の通り、千本の手を持ちそれぞれに眼を持って、観音のうちでもっとも大きな力を発揮するといわれ、その数の多いこともうなずけます。十一面観音は頭上に11面を掲げ、諸悪を除き安楽をもたらす仏といわれます。また、西国一番札所の如意輪観音は、やさしい面持ちで手に持っている如意宝珠が富や知恵を意のままに授けるという威力ある仏といわれます。座って足をくずし、右手を頬に当てているのが特徴です。こうした観音の功徳を信じ、西国三十三所の本尊とほぼ同じ観音像を建立していること、特に女性の講仲間での建立なども興味深いものです。 こうした庶民の信仰に対して、徳川幕府は「ほこら・念仏供養塔・庚申塚・石地蔵など田畑林又は道の端に新しく建立してはいけない」と禁止していました。しかし、現在、寺の境内や路傍などに多くの石仏を見ることができるのは、西国観音への熱い思い、お上の禁止を超えて建立した庶民のたくましさを思わせられます。 観音様の優しいお顔に心癒やされます。今も昔も信じる心を大切にしたいものです。