引退を決めた岡田と電話でやりとりする機会があった・・・
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- 2025年09月17日(水)
- ドラ番記者プラール
引退を決めた岡田と電話でやりとりする機会があった。どんなコメントを載せるか。
「16年間、多くの方の応援、助け、支えがあったからプレーできました。ありがとうございました。そう書いてください」
「分かったよ。お疲れさまでした」と伝えた。応援、助け、支え。3つの言葉を振り返ってみる。
岡田を最初に見たのは彼が智弁和歌山高3年の夏の甲子園だった。素人にも一目でわかるきれいなフォーム。気付いたら見とれていた。
助けられたことは、何度もある。お願いして用意された紙面が埋まった日もある。そして支え。年下の同じ高卒入団の投手に「このままじゃ終わるぞ」と叱りつけた日もあったっけ。伝えられた投手は左腕よりも先にユニホームを脱いでいる。
現役引退する選手は与えられたことばかり考える。本当は、同じだけ多くを与えている。ありがとう。記者も与えられた一人です。
川本光憲

2018年に大手WEBでは載らない岐阜県多治見市近辺に特化した情報を集め公開スタート。
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