新聞を読んで生活に新しいプラスを
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- 2018年09月11日(火)
- いいね新聞生活
新聞の読み方は人それぞれ
ウォーキングをしている人たちを眺めていると、人それぞれ様々なタイプがあるのに気づきます。減量を目的に、万歩計をつけてちょっとストイックに歩く方。肘をしっかり振って胸を張り、姿勢を大事にして歩く方。健康のことを意識しつつも肩肘はらず、気楽にゆったり歩く日課を楽しむ方。ウォーキングをする時間帯をとっても、早朝に歩く方もいれば日が暮れてから歩く方もいたり、ウォーキングもその人それぞれにあわせた様々な「かたち」で取り組まれています。
ウォーキングと同じように新聞という「知識の森」への散歩にも、人それぞれの様々な「かたち」があります。
毎朝の習慣として、じっくり30分以上かけて新聞の隅々まできっちり目を通す方。時間をかけずに見出しだけを確認しながら気になる記事だけを拾う、いわゆる「斜め読み」の方。満員の通勤電車の中で周囲に迷惑をかけまいと、新聞を縦に四つ折りにして肘を畳んで読んでいる方。これはまだスマホのない少し前の時代によく見られた光景ですね(笑)。また朝に余裕が無いお父さんは昼休みに行くランチの喫茶店で昨日のドラゴンズの試合結果を読んだり、主婦の方は忙しい家事の合間に、コーヒーを片手に一息つきながら地方版や社会欄を眺めたり。私は朝に時間がとれずその日の新聞をあまり読めなかった場合は、恥ずかしながら夜寝る前に読んでいる時もあります。
新聞には作り手の工夫や思いが盛りだくさん
多様化の時代を迎えているように、新聞の読み方をとっても人それぞれの「かたち」があってよいと思います。肝心なのはそれが日々の習慣となっていること、毎日の生活の一部になっていることだと思います。新聞に目を通せば、様々な情報と出会えます。スマートフォンでインターネットを検索しても同じような状況は得られますが、新聞を開いて見つける時の方が、知的満足度がより高まると思いませんか?それは新聞という限られたスペースに作り手の伝えたい思いが満載の”アナログ”だからだと思います。記事の内容はもちろんのこと、見出しやレイアウトに写真、書体に至るまで全てに作り手の想いが込められています。それは「どうしたら読者はこの記事に興味をもって読んでもらえるのだろうか」「どうしたらこの記事の根幹を読者に伝えられるのだろうか」と読者のためを慮った作り手側の知恵や工夫や努力。そんな英知に日々触れられることが、知的満足として響くのではないかと思います。
毎日、新聞を開くという知的な散歩を通じて、生活に新しいエッセンスを与える「何か」が生まれるのを願っています。
多治見市生まれ。子どもの頃は、カブトムシやクワガタを捕まえたり魚釣りが大好きで、放課後や夏休みになると永保寺周辺の林を駆け回ったり、土岐川のねずみ岩でザリガニを餌に野ゴイを狙うといった少年時代を過ごす。中学・高校時代はバスケットに夢中になり、大学進学と同時に楕円球に魅せられてラガーマンに。菅平での試合中に顎の骨を折り、帰省して県病院に入院したこと、最終年度の公式リーグ戦で優勝できたこと、そして海外遠征では王国ニュージーランドで地元の英雄、伝説のNo.8ウェイン・シェルフォード直々のコーチングを受けられたのは懐かしい思い出。大学卒業後は総合商社に11年半勤務の後2002年に多治見へ帰郷、現在に至る。