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多治見ぶらり散歩Part7 今渡街道

    • 2018年09月19日(水)
    • ぶらり散歩

 今渡街道は、多治見と木曽川畔の野市場湊(現・可児市今渡)を結ぶ、古くからある街道です。かつて多治見地域で生産された陶磁器や、村々から納められる年貢米は馬の背に乗せられてこの今渡街道を伝い野市場湊まで運ばれ、そこから船で木曽川を下りました。

 多治見橋の北詰を起点に、本町・ながせ商店街を西に進み、「虎渓道」と刻まれた道標のある五叉路を北西に向かう道(大日町)が今渡街道です。

 「大日如来」 大日町を少し歩くと、左側に石垣に囲まれた木立があり、その中に小さいながら立派な社殿を構え、如来像が奉られています。この「大日如来」は真言宗の本尊で、宇宙を照らす太陽で、万物の慈母(じぼ)と説かれています。ほかにも線彫り着色の厄除大師(1911年・明治44年)、馬頭観音(1926年・大正15年)、三尺大権現(1900年・明治33年)が奉られています。この杜は明治時代の村絵図にも画かれており、ずいぶん古くからこの地域の人々の信仰の対象だったようです。

 「安養寺」 大日町からJR中央線の大踏切を越え、多治見駅の真北にある所に、曹洞宗寂光山安養寺があります。元は清水の地蔵堂(現・田代町2)の境内にありましたが、土岐川などの洪水のため、1653年(承応2年)現在地に移されました。正面に享保14年銘の禁碑石があり、この寺の古さがわかります。また、ここには「嗚呼殉国之廟所」があり、日露戦争の戦没者5人、大東亜戦争の戦没者16人の名が墓石に刻まれています。

 「御嶽神社」 駅北を西へ進み信号を渡った左角に、社殿こそないものの御嶽教の石像物が多く並んでいます。市内では数少ない「廿二夜」と刻まれた碑や「奉書写般若心経三百六十巻天明五之己季」と刻まれた碑があり、人々の信仰を忍ばせます。

 「白山神社」 御嶽神社から50メートルほど先に進むと、右に見える社が白山神社です。創立年代はわかりませんが、1617年(寛文7年)再建の棟札があり、かなり古くからこの地域の人々が崇敬する神社だったことが伺えます。鳥居をくぐる手前に、百度詣の石(百度石)が立っています。長い歴史の中で、多くの人々の願いを叶えてきたことでしょう。

 この先、国道19号バイパスを横切り、大原川を渡り、宝町から池田を回り、根本、牧峠、下切、田白を経て、野市場湊まで今渡街道は続きます。