小林広報と9月1日の不思議な縁
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- 2019年09月02日(月)
- ドラ番記者プラール
9月1日は「防災の日」。1923年のこの日に関東大震災が発生したことに由来する。そんな話題に「僕の初登板日です」と明かしたのが小林広報。危険球退場で知られるプロ初登板が2005年9月1日の阪神戦(甲子園)だった。
小林広報と9月1日との縁はこれだけではない。入団1年目の03年には第1子となる長女が誕生。パパになった日でもあった。そして14年。当時の落合GMに戦力外を通告され、広報への転進を打診されたのも9月1日だった。
「プロ野球選手として始まった日でもあり、終わった日でもあるんですよ」と小林広報。ちなみに1942年のこの日には新愛知新聞社と名古屋新聞社が合併し、中部日本新聞社(現中日新聞社)が創立されたとか。恥ずかしながら記者は初めて知りました。
(高橋雅人)

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